沈黙の春を生きて

沈黙の春を生きて  (2011年 坂田雅子監督)

 

 

とても、とても重い映画でした。

 

ベトナム戦争時に、

アメリカが散布した大量の枯れ葉剤による影響で、

今もなお苦しみ続ける人たちをテーマにした

ドキュメンタリー映画です。

 

ベトナム戦争で、

広大なジャングルに潜むゲリラの隠れ家を無くすため、

また、食料的に追い詰めるために、

大量の枯れ葉剤(ダイオキシンなどを含む超有害な薬品)が、

およそ10年に渡り、ベトナムへ空中から散布されました。

 

当時の発表によると、枯れ葉剤は、人体に影響はなく、

効率的に植物だけを枯らせ、

土地はすぐ元に戻るとのことでした。

 

この映画では、

すでにその時期に「沈黙の春」という書籍で

農薬に含まれる物質が人体に大変有害であるということは

発表されていて、

その後から、農薬と同じ成分をもつ枯れ葉剤が、

散布され続けていたとの指摘があります。

 

ドキュメンタリーなので、

もちろん出てくる人は全て実在の人。

 

映画の中心になるのは、アメリカ人の女性ヘザー。

ヘザーは、アメリカのベトナム帰還兵の娘。

ベトナムでの兵役中に、枯れ葉剤を浴びた父の影響で、

足や指がない状態で生まれ、

幼少時から、たくさんの苦悩と闘いながら、

現在では夫と子どもと家庭を築いている。

 

ヘザーが、ベトナムを実際に訪れ、

同じように枯れ葉剤の影響で苦しみ続けている人を

訪ねて行く形で映画が進んでいきます。

 

全く知能を持たない、

体を動かすことも困難な子どもを育て続ける家族や、

意識はしっかりあるけれど、体の一部分が足りない人。

 

(そもそも、人間を定義した時に、

何をもって完全系で何をもって障害なのか、

というのはあまりに深く難しいのでここでは触れません)

 

また、皮膚病で、観ているこちらが目を覆いたくなるような

擦れ爛れた皮膚をもつ兄妹。

彼女たちの母親は彼女たちを横にして言う、

「こんな子どもを持って不幸だ」と。

 

わたしたち日本人の感覚からすると、

何て事をいうんだろう、と思ってしまうけれど

この兄妹はもちろん、お母さんだって悪くない。

 

ただ、このシーンに違和感を覚えて、

翌日に、映画に精通した人に話をしたら、

 

「ドキュメンタリーを観るときに、

気をつけなきゃいけないことがあって、

例えば、ずっと苦痛を強いられているのに、

今まで一度も光を当てられることがなく、

誰にも気づいてもらえなかった人たちは、

カメラが回ると、人が変わってしまうことがある。

今、みんなに、このかわいそうな自分を全て伝えなきゃと、

無意識のうちにアピールをしてしまうことがる。

 

きっとそのお母さんは普段からそんなんじゃないよ」

と言っていました。

 

そして、坂田監督はこの映画の前に

「花はどこへ行った」という映画を撮っていて、

同じように、ベトナム戦争での枯れ葉剤を、

ベトナム側の被害をテーマにドキュメンタリーで追ったところ、

「私的」すぎるとの理由で

アメリカで上映できなかったとのこと。

それが、今回アメリカ・ベトナム双方の被害者を

撮ろうという理由になったのだとか。

 

 

 

本当に悲惨としか言い様がないそんな状態、

その「わたしたちが勝手に悲惨と思う状態」を

それでも必死に生きている。

先天性、というものはあまりに残酷。

 

何をどうしても、絶対にどうにもならない、

(確かそんな状態のことを絶望と言うのじゃないでしょうか)

受け入れても、受け入れられなくても、

それでも生きて行かなきゃいけない人たち、

今頑張らなきゃとかそんなものはなくて、

一生背負い続けて行かなくちゃいけない。

 

その彼・彼女らの発する言葉に涙が止まらなくて。

 

ただ、もう何て言うか、この映画を観て

呑気に泣いている自分が存在してしまっていること自体

申し訳なくなるような気持ちになりました。

 

言葉がない、というのが素直な感想かも知れない。

 

この映画を観たところで、

何を受け取ればいいのか分かりません。

 

世の中というのは本当にクソで、最低で最悪で

ただ、わたしは、こんなクソすぎる世の中のほんの一部の、

奇跡的に幸せ地帯を生きているんだな、

と思いました。

 

 

昨年末に、「チェルノブイリハート」という映画を観ました。

タイトル通り、チェルノブイリの原発事故の被害に

今も苦しむ人たちのドキュメンタリーです。

また、数年前に観た、「闇の子どもたち」

これもきっと今もなお続く、問題ですよね。

 

世界にはいくつ、こんな最低なことがあるんだろう、と思う。

映画で観たのはほんの一部で、

まだまだいろんなことがあるんだろうなと思う。

 

 

よく、仕事をしていると、

いろんなとこで、いろんな人が繋がって、

「世間は狭いよね」なんて言うことがあるけど、

全然そんなことない。

普通に生きてたらこんな問題には出会わない。

 

ただ、広い世界の、

本当に狭く恵まれたごく一部の共同体のなかで

のびのび生きているだけなんだなあと。

 

この映画を観た日、わたしの住んでいる地域では選挙があり、

いたるところで選挙カーがアナウンスしてましたが

「明るい未来を」とか聞くだけで

気持ちが悪くなりそうでした。

 

この映画をみたところで、

何か変わるかと言ったら、きっと何も変わりません。

 

 

ただ、せめて、

知っている人、考える人でありたいなあ、とは思いました。

 

人に勧める映画かは謎ですが、

世界って言葉を使うなら、

一部として知っておいた方が良い現実のような気はします。